2010 九州その③ (鹿児島) [廃墟]

2010 九州その① (福岡~大分)

2010 九州その② (宮崎)     の続きです。

 

朝、道の駅で目覚めると、目の前には絶景が広がっていました。

朝日に照らされた桜島の噴煙です。

霧島から桜島を遠望

前の日の晩、遅くに鹿児島県の霧島に着いたのですが、

疲れてそのまま寝てしまい、朝起きたらこの絶景でした。

美しい桜島の山容は、鹿児島の第一印象として心に残りました。

 

私は火山というものにとても魅かれるのですが、

桜島はまたこんどの機会にとっておいて、

今回の旅の主目的である「知覧(ちらん)」へと向かいました。

知覧にはあの特攻基地跡があるのです。

 

「特攻」とは、よく知られている通り、

旧日本軍が戦争末期に取り入れた悲しい戦法でした。

当時、アメリカ軍は沖縄に侵攻しようとしており、

それを阻止すべく日本から多くの特攻機が飛んでいき、

アメリカの艦船めがけて突っ込んでいきました。

 

当時の日本の本土のいちばん南にあった飛行場が知覧でしたので、

沖縄にいちばん近いという理由から

この知覧基地が最前線の特攻基地になったのです。

 

知覧特攻平和会館

ここは「知覧特攻平和会館」という資料館です。

特攻隊員の遺品や資料、本物の戦闘機などが展示されています。

撮影禁止の館内で写真は撮れませんでしたが、

館の外から展示してある飛行機を撮ってみました。

知覧特攻平和会館にある実物の零戦

いわゆる「ゼロ戦」ですね。日本で最も有名な戦闘機です。

これは海に沈んでいたものを引き上げた機体でして、

そのままのボロボロな状態で展示されています。

うしろ半分は無く、操縦席と翼とエンジン部分だけしかありません。

 

この機体を実際に間近で見ますと、

ほんとうに細かい多くの部品でできており、

こんな機械のかたまりが空を飛んでいたなんて、すごいことだと思いました。

多大な資材と工業力と労力を使って作られたことでしょう。

つまり戦争をするということは、そんなすごいエネルギーを使うこと

なのだということを感じました。

 

テクノロジーのつまった飛行機ですが、

戦争ですから、当然撃ち落とされたりするのですよね。

精密な工業製品が、一瞬のうちにくず鉄になるということに

衝撃を受けてしまいました。

もちろん戦争で飛行機が落とされるのは当然のことかもしれませんが、

この本物の機体を見たことで、戦争の怖さを実感した気がします。

 

 

また、この資料館には、特攻隊員が残した多くの遺書が展示されています。

時間の許す限り、私は読んでいきました。

でも、一日では足りないほどの数があります。

そのなかでいくつか印象に残った手紙があり、

私は涙しないではいられませんでした・・・。

 

特攻隊員の多くは20歳前後の若い兵士が多く、

遺書は両親に宛てたものが多かったです。

多くの遺書には「敵に体当たりし、立派に戦果をあげてみせます」

といったような決意が綴られており、

そして、最後に家族への心遣いの言葉が書かれています。

その家族へのメッセージが、とても心に響くのです。

以下に、私の心に残った3つの遺書を記しておきます。

 

 

まず最初に目に止まったのは、長い手紙の最後のあたりにあった

「日本一のお父さん 日本一のお母さん」

という一文。

前後の内容は忘れましたが、この部分がとても印象的でした。

素直にそう言える心境というものが、

家族への別れの気持ちが詰まっている気がしました。

また、両親よりもずっと若い息子が、なぜ先に死んでいくのかということに、

釈然としないものを感じました。

この特攻という戦法についても、日本が行った戦争についても、

とても無理があったんだな感じました。

 

次に目に止まったのは、継母に宛てた、幼い頃からの無礼を詫びる手紙です。

母上、六歳の時より育て下されし、

生母以上の母上に対し『お母さん』と呼ばなかった信夫。

母上は如何程淋しかったでせう。

呼ばふと幾度も思ひましたが、

面と向っては、恥しいやうで言へませんでした。

今こそ大声で以て呼ばしていただきます『お母さん』と。」

義理の母親に対して素直になれなかった自分を悔いるとともに、

ほんとうにその継母を慕っていたことが、死を直面した出撃前、

素直に書かれていることに涙しないではいられませんでした。

私は母を亡くしているのですが、なんとなく自分とも重ね合わせていました。

 

最後にいちばん言葉が響いてきたのは、

「智恵子さん」という婚約者の女性に送った手紙。

「智恵子 会いたい、話したい、無性に」

という一文。

この手紙に書かれていたことの多くは、

智恵子さんの将来の幸せを願う内容ですが、

この部分だけは、この方ご本人の、

素直でせつない思いが書かれていました。

思わず書かずにはいられなかったのでしょう。

特攻は、何十年も昔の戦争の話ですが、

ここには現代人と変わらない普通の日本人男性の姿がありました。

私は直接的に感情移入してしまい、胸が詰まりました。

どこか私にも、心に響くものがあったのだと思います。

 

 

 

知覧特攻平和会館に行ったのは平日でしたが、

大変多くの方が来られていました。

年配の方よりも、20~30代ぐらいの方が多いのに驚きました。

そして館の各所で、すすり泣く声をよく耳にしました・・・。

 

今回、私はここに行くことができ、とてもよかったと思います。

特攻の話は、テレビや映画で何度か見たことはありましたが、

ここには本物の遺書があり、それが持っている大きな意味が

私の中にとてもよく伝わってきました。

この知覧特攻平和会館、ぜひとも多くの方に訪れて欲しいと思います。

 

 

とても長い時間、特攻平和会館にいましたが、

こんどは外へ出て、知覧飛行場の遺構を見に行きました。

知覧飛行場の給水塔

飛行場の遺構は幾つか残っているのですが、

この給水塔が最大のものです。

 

特にどういうことない古い給水塔なんですが、

この塔が飛んでゆく飛行機を見守っていたのだなと思うと、

現在の平和な空が愛おしく思えてきます。

 

ちなみにこの塔、どう写真を撮っても、斜めに写るんです。

ちょっと傾いているのでしょうかな。

倒れないでほしいものです。

 

 

知覧には、古い武家屋敷群があります。

知覧武家屋敷群

ここは『薩摩の小京都』と呼ばれていまして、美しい生垣の家並みが続きます。

私も少しだけ散策してみましたが、とてもゆったりした気分になりました。

特攻基地のイメージとは対照的な、閑静で落ち着いた雰囲気の場所でした。

知覧のもうひとつの姿を見て、さらにまた、

戦争というものの非日常性というものを感じました。

知覧をというまちは、沈黙のうちに、我々にメッセージを

問いかけてくる場所でした。

 

 

そして私は、知覧を後にして、さらに南へ向かいました。

薩摩半島の南端には、「開聞岳(かいもんだけ)」という、

とても美しい山があります。

到着した頃には、もう日は落ちていましたので、

開聞岳の近くの丘陵にて車中泊します。

 

日没後・・・。 わずかに残る夕焼けに浮かぶ開聞岳。

日が沈んだ開聞岳

頂上にだけ少し雲がかかっているのが素敵です。

それと、星空が大変きれいでした。

天の川を見たのも久しぶりでした、

こんな美しい山と星空を見ながら寝られるなんて、最高です。

(いや、寝るときは目を閉じますが・・・)

 

 

翌朝、まず最初に撮ったのは・・・

開聞岳と列車

朝日に照らされる、開聞岳と列車です!

とてものどかな風景だ。

こうしてみると、開聞岳って大きいんですね~!

 

そして、この近くにある駅に、私はずっと行きたかったのです。

その駅とは・・・

日本最南端の駅

そうです、日本最南端の駅!! 

JR指宿枕崎線(いぶすきまくらざきせん)、西大山駅です。

この駅に行きたかった!

 

ホームは1つしかない小さな無人駅ですが、

なんという開放感、大きな開聞岳! すばらしい!

ホントは沖縄にもモノレールがあるので、

実際にはここは最南端ではないとかいう事実なんて、

もうどうでもよくなるぐらい、素敵な駅です。

これほど、旅情に満ちた駅はなかなかありませんよ~!

最南端に来た!っていう感じがします。

西大山駅と開聞岳

この駅は特に観光地というわけではないのですが、

訪れる人もちょくちょく見られました。

やはり皆、この駅の雰囲気に魅せられるのでしょう。

私も訪問を果たせて、しかもこの快晴であり、とても満足です。

しいて言えば、車でなく列車で来たかったなぁ。

記念撮影・・・切れたがな・・・・・・

 

 

最南端に行きましたので、ここで折り返しです。

こんどは北へ北へと向かいました。

 

途中、加世田(かせだ)というまちに寄りました。

ここにも「万世(ばんせい)特攻平和祈念館」という特攻の資料館があるのです。

 

知覧の資料館ほどの規模ではありませんが、

ここにもたくさんの遺書や遺品と、

海から引揚げられた、大戦中の飛行機が展示されていま。

万世特攻平和祈念館

そしてまた私は、展示されている遺書を読んで、涙してしまいました・・・。

ここに展示されている遺書には、丁寧に現代の文章形式に直された

説明文も添付されており、とても理解しやすかったです。

 

 

この加世田には、以前「鹿児島交通」という鉄道が走っていました。

加世田駅跡には、古い機関車が残されていました。

加世田駅跡にあるSL

もともとは黒い車体なのですが、風雨にさらされ、

塗装がはがれています。

この荒廃具合は悲しい状態でありますが、

なんだか、南国を思わせる機関車でした。

 

その後も線路沿いに北上し、沿線に少しだけ残る鉄道の遺構を

眺めながら車を走らせました。

 

こちらは鉄道が走っていた橋の跡です。

鹿児島交通の橋脚跡

 

また、雰囲気のよい駅跡も残っており、

鉄道が走っていた頃の情景を思い浮かべることができます。

鹿児島交通の上日置駅跡

 

そして私は、鹿児島県を後にしました。

この後は一気に長距離を走って、佐賀県へ向かいます。

 

鹿児島県では、とても内容の濃い旅が出来ました。

今回は急ぎ足でしたが、またゆっくりと来たいと思いました。

次は桜島とお茶と温泉をじっくり味わいたいですね。

 

今日は、長々と読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

それでは最後に・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プハァァァァ~~~~

プハァァァァ~~~~

 

 2010 九州その④ (佐賀~長崎) へと続く


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りかの配偶者

子供の頃に「男だろ、泣くな」と育てられましたが、涙の種類によっては
まったく恥ずかしくないんだと確信するこの頃です。
都内の某靖国神社でも特攻隊員の遺書などが展示されています。
あれは涙なしに読むのは無理です。そんな仔細な事にとらわれず、
その時代に生きた人間の叫びに耳を傾けなければなりませんね。
真正面から何があったか受け止めたいです。色々な議論はそこから
ですよね。遺書のひとつも読んだ事がない人が何を言うかと思って
しまいます。目を背けないで学び、多くの人に知って頂きたいです。
こうしてブログで公開されることにはとても大きな意味があると思います。


雲がかかった開聞岳を背にはしる列車の写真、素晴らしいですね。
パネルにして飾りたくなるような写真です。

これはもう次回作が楽しみですね。
店長さんも北へ南へ行ってますし。
南の島から帰ってこれるでしょうか??
by りかの配偶者 (2010-09-23 18:18) 

インチキ商会の店主

特攻隊・・・壮絶ですね、確かに涙が出るでしょう。
世界情勢不安な昨今、もし自分がその立場に置かれたとしたら、って
時々考えるんですが、それはそれは・・・。
平和な世を作って行かねばなりませんね。

          ***

ところで、最南端の駅の表示ですが
良く見たら、一番上に赤字で「JR」って書いてませんか?

沖縄モノレールが出来る前は、この「JR」って記載は無かったと思います。

ということで、コレは「JR最南端の駅」って事で間違いじゃナイかも(笑)


そいうえば20年近く前の「アイルトン・セナ」の命日、指宿駅で駅寝してました・・・。
by インチキ商会の店主 (2010-09-23 23:05) 

ichimannet

りかの配偶者さん
あの場所で泣くのは恥ずかしくないと思いますが、おっさんなのでどうしても大声では泣けませんでした…。
靖国神社の展示も気になっています。そのうちぜひ行かねばならないと思っています。
我々の国で過去にこんな出来事があったのは、とても悲しいことではありますが、そんな過去の事象を身近に見聞きできるというのは、日本人であるが故なのですね。
特攻会館には海外からのお客さんも来られていましたが、日本語で書かれたあの遺書は、普通は読むことができないと思います。
だから日本に生まれたからには、その遺書を理解することができるわけですので、貴重な経験としてそんな過去の人々の叫びに耳を傾けたいと思いました。

開聞岳と列車の写真、そのように評価いただきうれしいです! 早起きした甲斐がありました。
ほんとにこのあたりは開放的で牧歌的なところで、ローカルな列車が似合う風景でした。
自分で言うのもナンですが、次回作は店長さんも私も力が入っています。どうぞご期待ください!

店長さん、ちょうどいま、遥か南の島ですね~。
台風が心配ですが、あそこに就航している船は、強靭な船だと聞いています。きっと無事に帰ってきてくれることでしょう。
by ichimannet (2010-09-24 00:05) 

ichimannet

インチキ商会の店主様
私も、自分がその立場になったときのことは考えないではいられませんでした。
ここ最近、日本の近海ではいろいろとトラブルが続いているような気がします。
国が異なると、私たちが常識と思っていることも通用しなくなるんだなということを実感します。
お互い様でしょうが、対立ばかりしていないで相手を理解することが必要でしょうね。

あっ、ホントだ! 最南端の上に「JR」って書いてある!
で、でも、なんだか納得したような、しないような・・・。
指宿で駅寝って、なかなかワイルドな放浪旅ですね~!
指宿の辺りって、なんだか放浪したくなるような雰囲気がありますね。開聞岳の美しさと、「最南端」という言葉に、旅人は魅了されるのかもしれません。
by ichimannet (2010-09-24 00:11) 

ミムラネェ

こんにちは~
知覧・・・懐かしいです^^
新婚旅行で夫婦で行って、夫な涙をはじめて目にした場所
でもあります
今まで見た色々な戦争に関する資料館の中でも、
ここは心に迫るモノがありました~

開聞岳は綺麗な形の山ですよね~
列車とのコラボが最高です(〃∇〃人)
by ミムラネェ (2010-09-24 11:38) 

ichimannet

ミムラネェさん
こんにちは!
新婚旅行で知覧を訪れるなんて、脱帽であります。なかなか新婚旅行では行かない場所だと思います。
ご主人の涙をはじめて見たとのこと。なかなか感慨深い思い出ですね。
確かに、知覧の展示は心に迫ってきましたね。私も原爆資料館なども見ましたが、知覧がいちばん印象に残りました。
開聞岳もそうですが、日本にある独立峰(富士山、羊蹄山、大山など)って、どうしてこんなに美しい山が多いのでしょうかね~。
そして、日本の山の景色と鉄道って、どうしてこんなにも調和するのでしょうかね~。
by ichimannet (2010-09-24 20:53) 

いつか

資料館の内容にはとても胸に迫るものがありました。こんなに悲しい過去があったんですよね。でも、それを感じさせないくらいの、雄大な開聞岳の風景が本当にすばらしかったです。鉄道を走る列車と驚くほどマッチした、なんともいえない心揺さぶられる景色…何度もブログをのぞいています!!こんなに素敵な景色を肉眼で見て、撮影しているイチマンさんが本当にうらやましいです。
by いつか (2010-09-25 10:27) 

ichimannet

いつかさん
何度もブログをご覧いただきありがとうございます!
知覧の資料館は、九州で見た他の何よりも、私の心に残りました。
知覧を飛び立って南へ向かった特攻隊員さんたちは、おそらく日本本土で最後に目にした山が開聞岳だと思われます。
今は列車がのんびり走るのどかな場所ですが、私はそんなことも思いながら開聞岳を眺めていました。
いろんな見方はありますが、やっぱり開聞岳は素敵な山で、心揺さぶられますね!
by ichimannet (2010-09-25 18:37) 

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