無計画エッセイ・その1 『新世紀への旅』 [無計画エッセイ]

突然ですが、今日は気まぐれに「無計画エッセイ」を掲載いたします。
ここでは、私が過去に経験したことなどを写真と共に文章にしていこうと思っています。
今後も何らかの文章は書いてゆきたいと思っていますが、その内容も予定も無計画です。
ひとまず第一回目は 『新世紀への旅』 です。

三原山

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 今からちょうど10年前の年末、2000年12月31日。この日私は熱海から船に乗って伊豆大島へと向かっていた。なぜこんな時にこんな所へ行ったのか、この日付と場所の持つ意味が、私にとってとても重要だと思っていた。

―――この2000年の最後の日というのは、20世紀最後の日でもある。西暦の最初の年は「1年」から始まったはずで、ということは、21世紀は2001年から始まるという解釈である。
 その大いなる節目の瞬間を、私は人生の途中で迎えることができるのだ。また時間的にも肉体的にも、行動の自由が利くという状況にあった。ならば、おそらく人生で一度しか経験できないであろう“世紀越え”の瞬間を、どこかとんでもない場所で過ごしたい・・・、数年前からそんなことを考えていた。

 90年代後半の頃、私はよく旅に出ており、夏は長期の旅をしてそれ以外はアルバイトをするという生活をしばらく続けていた。
 当時私は“シェルパ斉藤”こと斉藤政喜さんの本をよく読んでいた。いろいろなテーマや手段で旅をして文章を書かれている斉藤さんは、当時から私のお気に入りの作家さんだった。
 斉藤さんの旅の話はとても楽しく、いつも文章に引き込まれて、時間を忘れて夢中で読んでいた。斉藤さんが文章中で語られていることは、素直に頷けることが多く、自分が漠然と考えていた事を斉藤さんが文章化してくれたような気がして、とてもうれしかった。

 そんな斉藤さんの著書の中で特にお気に入りだったのが「犬連れバックパッカー」という本である。この本には斉藤さんが愛犬「ニホ」とともに、いろいろなところを旅した記録が書かれており、その中に伊豆大島を旅した一篇があった。
 話の中で伊豆大島に、「裏砂漠」という場所があることを私ははじめて知った。そこには植物の無い荒涼とした黒い砂漠が広がっているというのだ。
 私はこの日本に「砂漠」があるということに驚いた。それと同時にとても興味を持った。そして裏砂漠についていろいろ調べてみると、日本で“砂漠”という名があるのは、伊豆大島だけだということがわかった。
(当時読んだ何かの文献にはこう書いてあったが、実際には同じ伊豆諸島の「神津島」にも「表砂漠」「裏砂漠」という地名が存在していることが後に判明)
 “旅”に対して、特別な思いを持っていた私は、いつからかこの日本に唯一存在する“砂漠”が、新世紀を迎えるに場所として相応しいと思うようになった。そして20世紀から21世紀に変わる瞬間を、この旅先の地で迎えるべく準備を始めた。

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―――そんな思いを胸に、2000年最後の日に上陸した伊豆大島。温暖な伊豆のイメージとは全く逆の肌寒い日だった。私はまずこの島の中央にある三原山の山頂の火口にバスで向かった。
 火口からはもうもうと煙が上がり、付近は岩石だけで覆われていて全く動植物の生存は見られない。火口だけでなく、周囲の岩の隙間などいたるところから煙が昇っていて、自分が立っている場所が、なにか巨大な生物の背中の上ではないかという錯覚を覚えた。地球が生きているということを強く感じられる場所だった。

三原山の火口

 伊豆と言っても12月末となると真冬の寒さだった。しかし火口付近は地中の熱のためか、ほのかに暖かい気がした。火口付近には私以外に人影はなかった。私は火口からの絶景を独り占めして、食事などしながらのんびりと過ごした。
 20世紀最後の日としては上々の贅沢な午後だった。

20世紀最後のパン

 そして火口をひとまわり歩いたあと、いよいよ裏砂漠へと入っていった。黒い地面に枯れた植物が茂るモノクロームの道を進むと、やがて枯れ草は無くなり、文字通り黒い砂漠が広がっていた。とうとう私は念願の地にやってきたのだ。
 感動に浸っていたかったが、辺りはもう薄暗くなり始めており、海からの風も冷たい。暗くならないうちにキャンプ地を決めてテントを設営したい。できれば斉藤さんがしていたように、何もない砂漠の真ん中にテントを張りたいところだったが、風が強いため何かの陰になる場所のほうが望ましい。そう考えてさきほどの枯れ草が茂っている場所に張ることにした。草と言っても私の背丈に近いぐらいはあるので、少しは風を和らげてくれるはずだ。
 テントを建てて、風で飛ばされないように大きめの石に紐で繋いで、2日間過ごす我が家の出来上がりだ。そして早速テントの中で蕎麦を茹でて食べた。
(ほんとうは、テントの中でコンロを使ってはダメなんだが、あまりにも寒くて風が強くて、とても外で調理する気にはなれなかった)
 この日の夕日は20世紀最後の夕日のはずであったが、あいにく曇っていて見られなかった。

荒野のテントサイト

 その後、ここから歩いて行ける距離にある「大島温泉」に行った。大晦日なのに営業していてくれて、とても助かった。温泉施設という人工的な場所には、当然ながら何人もの人がいて、さっきまでいた無人の荒野から全く別の世界に来てしまったような、不思議な感覚にとらわれた。

20世紀最後の温泉

 冷たい風に吹きさらされている砂漠に長時間いたので、冷えきった身体にとって温泉は天国だった。文明のもたらしてくれるありがたさを感じた。私は普段はどちらかというと入浴はめんどくさいと考えるほうであるが、この日だけは違った。単に温かいお湯に浸かることができることに、こんなにも感動を覚える自分が新鮮だった。
 そんなふうに感じられることは、当然私が生きているからであり、人間であるからだ。地球とか宇宙の歴史が何億年も続いていて、その中のほんの一瞬の間に生きる無数の生命の中において、極めて希少な“人間”として生まれた私が、感覚や感情を持ち得ていることはまさに奇跡である。とんでもない確率の偶然に偶然が重なり、この日この伊豆大島の温泉にいる私自身は奇跡の存在なのだ、などと、そんな大きなことを考えていたと思う。
 営業時間の終了が迫っていたためか、年越しは自宅で過ごしたいと考える人が多いからか、このときの大島温泉の浴場に私以外の客の姿はなかった。私は爽快な露天風呂を独り占めして、20世紀最後の入浴を心置きなく堪能した。終了間際だったので、もしかすると私が大島温泉の20世紀最後の入浴客だったかもしれない。

大島温泉は独り占め 

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 温泉をじっくり味わった後はテントに戻って年を越すのみだが、結局この帰りの道中で再び身体は冷えきってしまった。真っ暗闇の中で、枯草の間に張ったテントを探すのに手間取ったからである。このような場所では、なにか具体的な目標物の近くに設営すべきだったと反省した。

 ようやくテントに戻った後はシュラフにもぐりこみ、ラジオで20世紀最後の紅白を聞きながら、のんびりとその瞬間を待った。
 そしていささかあっけなくその時が来てしまった。ラジオから聞こえてきたのは除夜の鐘の音だった。
 除夜の鐘だけが、その瞬間で新世紀になったという事実だけを伝えていた。0時が来たからと言って、私の身の回りで特に何かが起こるわけではない。どこかの都会であれば、カウントダウンのイベントでも行われていたかもしれないが、そんなこととは無縁の場所にいる。
 “〇〇世紀”という概念は、文明社会の中でこそ意味あるものであり、私のいるような大自然のど真ん中では何の意味もない、自然界の動植物にとっては、普段と変わらぬ時間の経過の一瞬でしかない。
 そんな21世紀の幕開けだった。特にここで何かをするというわけではなかったが、すでにこんなとんでもない場所にやってきて、砂漠の荒野で世紀越えできたことで、私はとても満足していた。

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 翌朝。初日の出は見逃さない訳にはいかなかった。21世紀最初の初日の出という、特別な意味を持っているからだ。
 溶岩流のゴツゴツとした岩の向こうの空が徐々にオレンジに染まり、ついに21世紀最初の太陽がやってきた。いつでも見られる太陽だけど、そんなふうに100年に一度のことだと思うと妙にうれしかった。

21世紀最初の初日の出

初日の出に照らされた私 

 21世紀最初の日、つまり元日は、裏砂漠を散策しようと決めた。天気は上々。いらない荷物はテントに置きっぱなしにして、軽やかな足取りで歩き始めた。
 裏砂漠へは昨日も少し足を踏み入れていたが、改めてその地に身を置いて再び感動が全身を駆け巡るような思いがした。
 「これが見たかったんだ。」
 黒い石の平原がどこまでも続く風景が広がっていた。やさしいカーブを描く黒い山の姿が美しかった。

砂漠に立つ

 この黒い石というのは、火山活動で降ってきた石だ。それが堆積して平原となったのである。もうそれだけで、この火山の持つエネルギーがどれほどすごいのか、私の想像は及ばないほどのスケールだった。
 斉藤さんはここを “地球誕生を思わせる風景” と形容していたが、まさにそのとおりだ。こうやって地殻変動を繰り返して現在の地球の姿がある。まだ動植物が誕生していなかった頃の地球の姿は、こんなふうに殺風景だったのかもしれない。

絶景を独り占め 

 この日は一日中砂漠をトレッキングした。どこへ行っても黒い大地ばかりだったが、生まれて初めて訪れた砂漠の中を、飽きることなく歩きまわった。
 こんな場所で、人に会うはずはないだろうと思っていたが、この日は車を一台見かけたし、自転車に乗った人にも出会った。砂漠の中には車の轍がいたるところに残されていた。確かにここを四駆で走りまわると楽しいだろう。

どこまでも続く砂漠 

 また、砂漠のど真ん中には、大きな岩が突然ゴロンと転がっていたりした。私の背よりもはるかに大きなこの岩は、いったいどこからやってきたのだろうか。そんなことを思わせる、とても神秘的な光景だった。

io0122.JPG 

 砂漠の端っこは突然やってきた。岩の壁に行く手を遮られたのだ。これは溶岩流が固まったものだ。砂漠よりもさらに濃い色をした岩の塊が横たわっていて、ここから先は砂漠とは明らかに異なる地形だった。
 この岩の壁は、ここに熔岩が流れたという証である。噴火した火口から赤くドロドロとした熔岩が流れ、それが長い時間をかけて固まって、このように残っているのだ。そんな火山活動の痕跡に、私はとても感動した。
 これを越えないと先へ進めない。よじ登ることができなくはないが、ゴツゴツした岩肌は登りにくく、足を滑らせたりすると怪我しそうだ。そう考えて引き返すことにした。

溶岩流 

 テントに戻った私は枯れ木を集めた。焚き火をしようと考えたのである。周囲には冬枯れした背の低い灌木が多く落ちていて、簡単に集めることが出来た。

薪を集める 

 日が暮れていよいよ火を点けようとしたが、なかなか点かなかった。そしていざ点いたと思ったら一瞬で燃え上がり、あっという間に燃え尽きてしまった。写真ではゆったりと焚き火を楽しんでいるように見えるが、わずか一瞬の出来事だった・・・。

焚き火する私 

 この日はもうだいぶ食料が無くなってきていたため、夕食は残っていた年越しそばを食べた。何でもいいから、温かい肉や野菜のたっぷりと入った料理が食べたかった。

余った年越し蕎麦

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 1月2日は島を離れるため、港まで行かなければならない。かなりの距離があったが、船の時間まで余裕があったので、道中のトレッキングを楽しむことにした。
 山を下るとアスファルトの道が現れた。人や車にも出会った。そんなごく普通のことなのだが、とても新鮮な気がした。そして島の周回道路に出て港へ向かって歩いた。
 通りかかった商店で、久しぶりに食料を買った。伊豆大島産の牛乳と納豆だ。久々に口にした“生もの”だった。なんでもない普通の食べ物だが、身体を潤してくれるような幸福な気分を味わうことができた。

21世紀最初の牛乳

21世紀最初の納豆

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 ふと通り掛かったある集落で、前方から一匹の柴犬が歩いて来た。どこかの飼い犬が離れてきたのだろうか。その犬は人によく慣れているようで、いっしょに遊んで仲良くなった。こういう旅先での出会いは和むものである。
 しかし私は旅の続きをしなければならない。名残惜しいけど「じゃあな!」と別れを告げ歩き始めた。しかし、ひもにつながれていないその犬は、尻尾をふって私についてくるではないか。
 一度は追い払おうかとしたが、やっぱりついて来るので、まあ彼のしたいようにしてもらうことにした。そのうちどこかへ行ってしまうだろうと思っていた。
 やがて集落を過ぎて、家などが見られない道となったが、相変わらず彼は私と行動を共にしてくれている。むしろ私の先を歩いてくれるから、誘導してくれているのだろうか。実際にその方向は、私の向かっている港へ続く道で正しいのだ。

突然やってきた犬

 我が家に飼い犬はいないため、犬と一緒に歩くのは久しぶりだった。それも、リードをつけない犬とこんなに長い距離を歩くのは初めてだ。彼は自由に寄り道をしながらも、私の道案内をしっかりと果たしてくれた。小さな柴犬の歩く様子は可愛らしく、後ろから眺めていて楽しかった。この道中は最高のウォーキングとなった。

 斉藤さんの犬の本をきっかけにやって来た伊豆大島で、このように犬といっしょに旅できるなんて、なんという巡り合わせだろうか。
 私は猫好きだが、犬も大好きである。凶暴な犬は苦手だが、彼のようにフレンドリーな犬には大いに好感を持てる。これが本来の犬の姿なのだろうと思った。
 日本の犬は屋外で飼われている場合たいていは繋がれていて、自由に歩き回ることはできない。行動を制限された犬にはストレスが貯まって凶暴になってゆくのかもしれない。しかし繋がれていない彼はおおらかな性格をしており、悠々と自由に歩く姿が印象的だった。

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 あれからどれだけの距離を歩いただろうか。たぶん一時間以上は一緒だったと思う。一般的な飼い犬が普段の散歩で歩くような距離をはるかに超えていたが、相変わらず彼は迷うことなく私を先導してくれていた。不思議な犬だった。ほんとうにどこから来たんだろうか。
 海の見える断崖の上の道は、さえぎるものがなく風が強くて歩きにくかったが、豪快な景色の中を犬といっしょに歩んでいる私はとても気分がよかった。
 

絶景の中、犬といっしょに歩いた 

 しかしあるとき突然、彼の姿が見えなくなってしまった。それまでもしょっちゅう道草をしていた彼は、私の視界から消えることがあったが、すぐに戻ってきて先導を続けた。
 しかしその断崖の道で、とうとう彼は戻ってこなかった。周囲には家などが全くない場所なのに、いったい彼はどこへ消えたのだろうか。しばらく周囲をキョロキョロしたり口笛で呼んでみたりしたが、再び彼が現れる気配はなかった。
 一人残された私は、冷たい風にただ叩きつけられるだけだった。
 彼といっしょの旅は突然終わりを迎えてしまった。でも彼には感謝したい。旅先でこんなにも気分の良いウォーキングを経験できたのだ。どこへ行ったのかわからないが、元気で過ごしてほしい。

 そしてその後は寄り道をしながらも、通りかかったおじさんの軽トラに乗せてもらったりして無事に港に到着。船で伊豆大島を後にした。

伊豆大島を離れる船 

 熱海で泊まったのは安いビジネス旅館だったが、布団の暖かさと柔らかさがとても心地よかった。

熱海の旅館にて

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 後日談ではあるが、その数年後に発刊された斉藤さんの著書「犬と旅に出よう」の中で、斉藤さんはネパールを単独でトレッキング中に犬と出会い、その後数日に渡っていっしょに旅をした話が書かれていた。ずっといっしょに歩いていたのに、その犬も突然姿を消してしまったそうだ。この話を読んで、またしても私は不思議な巡り合わせを感じないではいられなかった。

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 この伊豆大島で体験した究極の世紀越え。この行為は人間である私にとっては重要な意味を持つものだった。確かにこんな場所で世紀越えしたという事実は、自他共に語り継ぐことのできるエピソードと言えるだろう。
 しかし大自然の中にあってこのことは無意味なものであった。この地球上で“歴史”という記憶を持っていて、時間を表現するひとつの方便とし“世紀”を使っている生物は、このちっぽけな人間だけだからだ。

 しかし砂漠の中で、歴史を感じさせるものにも出会った。熔岩の流れた跡が大地の上にはっきりと痕跡を残していた。これが地球は生きていることの証であり、歴史の1ページでもあるのだ。

 この島で見た“火山”の地形。魂に語りかけてくるような風景と、地球が生きていることの証。心揺さぶられた私は、火山にすっかり魅せられてしまった。旅のきっかけは“砂漠”だったが、以後は火山について興味を持つこととなった。この旅は、そういった意味でのターニングポイントとなった。

 そして、伊豆大島の南には「三宅島」という同じような火山の島があった。この頃から私は三宅島にも興味を持つようになり、ぜひ足を運びたいと思っていた。しかし当時の三宅島では火山活動が活発化していて、全島民が島外へと避難中であり、一般人が渡航することはできなかった。
 その後、実際に私が三宅島訪問を果たしたのは、2009年になってからのことである。

おわり  


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コメント 2

ミムラネェ

おぉ~?!Σ( ̄□ ̄;) まるで日本の景色じゃ無いようです
日本の陸地が、まるでそこから始まってるかのように見えますね~
こんにちは!
旅にテーマがあるって、良いですね(〃∇〃人)
素敵な旅で、心にも色んな栄養が貯まるのでしょうね~

20世紀最後は・・・旦那と「世界がココで終わったら」という
話をしながらコタツで飲んでましたよ~<( ̄∇ ̄;)ゞ
昔・・・私達夫婦も北海道の岬の突端で、どこからとも無く現れた
わんちゃんに案内された事が・・・ちゃんと私たちを待ちながら歩き
先端に行ったら消えていたんですよ~
確かに不思議な体験でした^^
by ミムラネェ (2011-01-06 16:20) 

ichimannet

ミムラネェさん
こんにちは!
ほんとうに、日本にこんなところがあるなんて、信じられないような場所です。まさに日本の辺境!
心に栄養が貯まったかどうかはわかりませんが、いつまでも強烈な印象が残る旅でした。
ミムラネェさんも旅先で犬に出会われたのですね~。
北海道の岬の突端って、それはまたすごいところで・・・。犬ってじつはけっこう不思議な動物なのかもしれませんね~。
20世紀最後の日も飲まれてたとのこと。その日に相応しいテーマのお話ですね~。私も当時はそのテーマについて、考えていた気がします。
by ichimannet (2011-01-07 22:16) 

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